晩ごはんの下ごしらえをしながら「Same Thing -EP」を流していて、
これはもしや名曲が来たのでは、と思い、
慌ててエプロンを外し、イヤホンを耳につっこんで座って聴いた。
泣いた。
最近目を覆いたくなるようなニュースが続いていて、
流れてきたらチャンネルを変えるか消す、最たるやつが千葉の虐待のニュースだ。
主犯の男の恐ろしさや周囲がどうにか出来なかったのか、という怒りよりも
もしかしたら自分もする側にいるのではないか?という
後ろ暗い気持ちが蘇るからだろう。
わたしは感情のコントロールが下手くそだ。
お源さんは、お源さんなりの比喩のしかたで
自分より小さきものへの接し方と
自分の人生を歌っているように 聞こえた。
わたしには子育ての矜持に。
ここのところでいうと
神戸の先生の件や、自然災害の件も見るほどにどんよりして
どんどん気持ちがふさいでいくが
そんな中でも子育てと人生は続く。
次男は2歳の時、ちょっと目を離した隙に200メートル先の国道に飛び出して、
向かいを歩いて来たおじいさんに抱き上げられて命拾いして以来、
わたしにとっては心配の種で
先日6年ぶりに学校経由で市の発達支援センターに相談した。
中学入学までになにか準備できることはないかと思ったからだ。
6年の間に市には立派なセンターが出来て、作業療法士さんが常駐した。
学校での様子を見てもらい、センターでできることがあれば通所も可能です、と伝え
後日呼ばれて行くと
「(彼の能力の割には)よくがんばっている方です」と。
「お母さんががんばりましたね」と。
泣いた。
で、あとは
「普段の生活の中で丁寧に 様々な経験をさせてください」
と
だいたい6年前と同じことを言われ、でも6年前よりはこちらの心持ちがだいぶ違うので
わかりましたと素直に受け入れ、
家族でジェンガやボードゲームしたり週3でウォーキングしたりしています(まあその程度すわ)。
ここのところ自分が厳しい会社にいるし、未来もなんとなく明るくないし、だから
「会社とは厳しいものだよ」「今頑張っておかないと」みたいなのを
すごく押し付けてたけど、
でももしかしたら彼らが大人になる頃には
未来は、社会は明るいのかもしれないし、
そう思ってないとやっていけないよな、と。
あと
自分が育っていく過程でつけられた傷の復讐みたいなことはやめよう、と自然に思えました。
彼には関係のないこと。
そんなこんなで話は流れ流れましたが、
次男よ
もうすぐ12歳の誕生日おめでとう。
(今夜はパーリーなので昼から唐揚げの準備してました)。